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聖歌は生歌

聖歌は生歌

聖家族の祝日の答唱詩編

【聖家族の祝日の答唱詩編】
《A年・C年》
102 しあわせな人(2)
【解説】
 詩編84は、一見して分かるように巡礼に関係する詩編ですが、解釈については、二つに分かれています。

捕囚の地にいるためエルサレムの聖所に巡礼に行けない人の、聖所に対する憧れを歌っている⇒詩編42,
43に似ている
エルサレムへ向かう道すがら、あるいは、その聖所についた巡礼者が歌ったもの⇒詩編120~134、特に、
121・122に似ている

 11節(詩編唱では6節)にある表現から、作者は異教の地に住んでいると思われます。その作者は、9月から10
月にかけて行われる「仮庵の祭り」に参加するため、エルサレムの聖所にやってきたようです。この、祭りは、夏の日
照りの後で行われたので、雨乞いの性格もあったようですし、あるいは、秋の収穫の季節ですから、収穫感謝祭とし
ても行われたのかもしれません。巡礼は、農耕暦の新年に行われたので、この時期の雨は「始めの雨」と呼ばれて
いました。
 答唱句は八分の六拍子で滑らかに歌われます。2小節目は和音が4の和音から、後半、2の7の和音に変わりま
すが、これによって祈りを次の小節へと続けさせることを意識させています。続く「かみを」では旋律で最高音C(ド)と
4の和音を用い、次の「おそれ」ではバスにその最高音H(シ)が使われ、「神をおそれ」では、旋律が6度下降して
(それによって母音の重複も防がれています)、前半の主題を強調しています。7小節目後半の3つの八分音符の連
続は、最終小節に向かって上行音階進行しており、終止の rit. を効果的に導いています。
 この答唱句は、C-dur(ハ長調)の主和音ではなく、5の和音で終わっています。これによって、祈りを詩編唱につな
げる役割もありますが、この曲はいわゆる長調ではなく、教会旋法に近い形で書かれていることがわかります。G
(ソ)を終止音とする教会旋法は第8旋法ですが、その音階は、D(レ)からd(レ)なので、この曲には該当しません。
他にも、36~40「神のいつくしみを」、130~135「主をたたえよう」などがこれにあたります。これらから考えると、
この旋法は、教会旋法を基礎に、作曲者が独自の手法とした旋法であり、「高田の教会旋法」と名づけることが出来
るでしょう。
 詩編唱も、答唱句と同様の和音構成・進行ですが、3小節目だけ、冒頭の和音は答唱句で経過的に使われている
2の7の和音となっていて、3小節目の詩編唱を特に意識させるものとしています。

【祈りの注意】
 答唱句で特に注意したいことは、だらだらと歌わないことです。だらだらと歌うとこの答唱句のことばがまったく生か
されなくなってしまいます。そのためにはいくつかの注意があります。

八分の六拍子は、八分音符を一拍ではなく、付点四分音符を一拍として数え、先へ先へと流れるように歌う
こと
「しあわせなひと」の「わ」をやや早めに歌うこと
次の「せなひ」の三つのことばの八分音符で加速をつけるようにすること

の三点です。また2については、1・3・5・7各小節の前のアウフタクトのアルシスを十分に生かすことにつながること
も忘れてはならないでしょう。このようにすることで、祈りが自然に流れ出てゆき、答唱句のことば「主の道を歩む」「し
あわせ」が、豊かに表現できるのです。
 前半の終わり「おそれ」では、やや、わからない程度に rit.するとよいかもしれません。答唱句の終わりは、歩みが
確固としたものとして、ただし、主の前を静々と歩むように、十分に rit. して、滑らかに終えましょう。
〔A年〕
 第一朗読では、父母を敬うことの意味が語られます。人間は、生まれてくる場所や時代はもちろん、自分の親も、
生まれてくる子供も選ぶことはできません。これらは、すべて神のはからいの中で、行われ、わたしたちは、それを素
直に「はい=アーメン」と受け入れるのです。救い主の両親に選ばれたヨセフとマリアは、最初から、神の救いの計画
の中で行われた、不思議な出来事を、すべて、「はい=アーメン」と受け入れましたし、エジプトへの旅路の時もそう
でした。このような、家族の生涯は、「恵みと平和に満たされる」ものだったことでしょう。今日の朗読や詩編を味わい
ながら、わたしたちも、聖家族にならい、神のはからいを素直に「はい=アーメン」と受け入れ、生涯が「恵みと平和に
満たされる」ものとなるように祈りたいものです。
〔C年〕
 詩編唱は、第一朗読と福音朗読に共通する「巡礼」をつなげるものです。エルサレムの聖所に巡礼することは、そこ
にしか神がいないと言うことではなく、現代の神学のことばを借りて言えば、いわば、秘跡のようなものと考えればよ
いでしょうか。第二バチカン公会議が『教会憲章』で教会を秘跡と考えたのと同じです。もちろん、わたしたちにとって
の真のエルサレムは天にありますが、そこはまた、すべての神の民が集まるところですから、その意味では、わたし
たちは、天のエルサレムにおいて、完全な聖家族の一員となると言えるかもしれません。この詩編によって、真のエ
ルサレム、天のエルサレムを思い描くことができれば、すばらしいと思います。
【オルガン】
 答唱句で歌われる、「しあわせ」をあらわす音色を出したいものです。基本はフルート系の8’+4’にし、弱いプリン
チパル系の2’を加えるとよいかもしれません。答唱句の祈りが先へ先へと流れるようにするには、オルガンが前奏
で、きちんとテンポをとることが大切です。オルガンの前奏がだらだらすると、会衆の祈りはそれ以上に、活力のない
ものとなってしまいます。会衆の祈りを、答唱句のことばにふさわしいものとするためには、テンポやニュアンスだけ
でなく、オルガニストがまず、この詩編をしっかりと味わい、歌うことによって祈るという、基本的な準備をしっかりとし
ておかなければなりません。

《B年》
 94 心を尽くして神をたたえ
【解説】
 ここで歌われる詩編105は、1節から15節が、歴代誌上16:8-36にある、ダビデがアサフをはじめとするレビ人
たちに、神の箱の前での儀式のときに歌わせた感謝の歌の一部(16:8-22)として用いられています。詩編全体
は、賛美への招き(1-6)、太祖の時代の契約(7-15)、ヨセフの物語(16-24)、モーセとエジプトの災い(25
-36)、荒れ野の旅とカナン入国(37-)、という、イスラエルの古代史が語られています。第一朗読では、神がアブ
ラム(後のアブラハム)に多くの子孫を与える約束と、イサクの誕生が語られます。年老いたアブラハムと不妊と思わ
れたサラからのイサクの誕生は、当時の人々にとっては、まさに「神が行われた不思議なわざ」(詩編唱2の3小節)
だったのです。
 福音では、年老いたシメオンとアンナという預言者が登場します。二人とも、メシアを見て「賛美の歌を神に歌い、そ
のすべての不思議なわざを語」ります。これは、先日、主の降誕を記念したわたしたちにとっても、まさに、今、目の
当たりにした出来事なのです。そして、この神殿への主の奉献も、ミサの中で、わたしたちが記念していることの一つ
ではないでしょうか。さらにもっとも大切なことは、この、奉献にあわせて、わたしたちが神からいただいたすべての恵
みによって行うことができたこと=それは、わずかなことでしょうが=を神にささげる、神に返すことも忘れてはならな
いでしょう。
 答唱句は、前半、後半ともに、旋律が主に音階の順次進行によって上行します。「心を尽くして」と「すべてのめぐみ
を」が、付点四分音符+十六分音符のリズムで強調されています。さらにこのどちらも、旋律の音が同じばかりでな
く、和音も位置が違うものの、どちらも四の和音で統一されています。「かみをたたえ」は、「かみ」の旋律で、前半の
最高音C(ド)が用いられ、祈りが高められ、バスでは「かみをたたえ」が全体での最低音F(ファ)で深められていま
す。また、この部分はソプラノとバスの音の開きも大きくなっています。なお、「たたえ」は、バスでFis(ファ♯)があり
ますが、ここで、ドッペルドミナント(五の五)から、一時的に属調のG-Dur(ト長調)に転調して、ことばを強調していま
す。後半の「こころにとめよう」は、旋律が全体の最高音D(レ)によって、この思いが高められています。
 詩編唱は、最初が答唱句の最後のC(ド)より3度低いA(ラ)で始まり、階段を一段づつ降りるように、一音一音降
りてゆき、答唱句の最初のC(ド)より今度は3度高いE(ミ)で終わっていて、丁度、二小節目と三小節目の境で、シ
ンメトリー(対称)となっています。
【祈りの注意】
 早さの指定は四分音符=69くらいとなっていますが、これは、終止の部分の早さと考えたほうがよいでしょう。こと
ばと、旋律の上行形から、もう少し早めに歌いだし、「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」に、力点を持ってゆくように
したいものです。決して、疲れて階段を上がるような歌い方になってはいけません。この答唱句の、原点は、イエスも
最も重要な掟と述べられた(マタイ22:34-40他並行箇所)、申命記6:5「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽く
して、あなたの神、主を愛しなさい」によっていることを思い起こしましょう。
 「すべての恵み」で、何を思うでしょうか。わたしたちが神からいただいている恵みは はかりしれません。毎日の衣
食住、ミサに来れること、友人との語らい、家族団らんなど、さまざまな物事があるでしょう。わたしが、この世の中に
生まれてきたことも大きな恵みです。、しかしこの「すべての恵み」を、端的に言い表しているのは、「主の祈り」では
ないでしょうか。「主の祈り」のそれぞれの祈願こそ、神が与えてくださる最も崇高で、最も大切な恵みではないかと
思います。これらのことを集約した祈りであるこの答唱句を、この呼びかけ、信仰告白にふさわしいことばとして歌い
ましょう。
 二回ある上行形は、やはり、だんだんと cresc. してゆきたいものですが、いつも、述べているように、決して乱暴
にならないように。また、音が上がるに従って、広がりをもった声になるようにしてください。一番高い音、「かみをたた
え」、「心にとめよう」は、丁度、棚の上に、背伸びをしながらそっと、音を立てないで瓶を置くような感じで、上の方か
ら声を出すようにします。「かみをたたえ」でバスを歌う方は、全員の祈りが深まるように、是非、深い声で、共同体の
祈りを支えてください。
 この恵みの頂点は、やはり、パウロが『コリントの信徒への手紙』で述べている、「キリストが、聖書に書いてあると
おりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(1コ
リント15:3-4)=受難と復活、そして、その前の晩に弟子たちとともに過ごされた、最後の晩さんの記念=ミサで
あることは言うまでもありません。ミサにおいて、この答唱句を歌うことこそ、この答唱句の本来のあり方なのです。
 「すべての恵み」でテノールが、その最高音C(ド)になりますが、これが全体の祈りを高めていますから、それをよく
表すようにしてください。
 最後の rit は、最終回の答唱句を除いて、それほど大きくないほうがよいかもしれません。最終回の答唱句は、む
しろ、たっぷり rit. すると、この呼びかけに力強さが増すのではないでしょうか。
 わたしたちが神からいただいている恵みははかりしれませんが、往々にして、わたしたちは、その恵みに対する賛
美と感謝を出し惜しんでいるのではないでしょうか。いただいた恵みを思い、主の奉献にこころをあわせて、「心を尽く
し、魂を尽くし、力を尽くして」神に賛美と感謝をささげたいものです。
【オルガン】
 前奏では、上行音階を活き活きとさせましょう。ここが、だらだらしていると、会衆の答唱句も、ずるずるとしてしまい
ます。また、「つくして」、「めぐみを」の付点八分音符+十六分音符は、やや、鋭くしたほうがよいかもしれません。ス
トップは、やはり、明るめのものがよいでしょう。基本的には8’+4’でよいと思いますが、会衆の人数によっては、
2’を入れてもよいでしょうし、最後の答唱句だけ、2’を加えることも考えられます。オルガンの伴奏も、一番大切なこ
とは、いただいた恵みを思い、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」神に賛美と感謝をささげること、すなわち、オル
ガン奉仕者が、奉仕の賜物として、その恵みを与えられたことを、心から神に感謝することでしょう。
 「聖家族」はいろいろにたとえられますが、教会共同体こそ、キリスト、聖母マリア、聖ヨセフがいつもともにいる、聖
家族にほかなりません。オルガン奉仕者は、その、教会共同体=聖家族の祈りを支えることが大切な役割であるこ
とをいつも心がけていたいものです。


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